
高原から登り二キロ程度で、この大門王子跡に着きます。
(説明板より)
この王子は、中世の記録には登場しません。王子の名の由来は、この付近
に熊野本宮の大鳥居があったことによるものと考えられます。鳥居の付近に
王子社が祀られ、それにちなんで大門王子と呼ばれたのでしょう。天仁二年
(1109)に熊野に参詣した藤原宗忠は、この付近の水飲の仮屋に宿泊して
おり、建仁元年(1201)に参詣した藤原定家も、この付近の山中で宿泊して
います。江戸時代になって、享保七年(1772)の「熊野道中記」に、「社なし」
としていこの王子の名が見え、紀州藩は享保八年(1723)に緑泥片岩の石
碑を建てました。この王子碑と並んで、鎌倉時代後期のものとされる石造の笠
塔婆の塔身が立っています。以前には松の大木がありましたが枯れてしまい、その後朱塗の社殿が建てられて、この王子跡付近の様相は一変しました。 |