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大塔地区

アウトドアと伝説の町

鮎川王子跡
大塔村は和歌山県南部中央の山岳地帯に位置しています。

1km前後の大塔山脈をはじめ、
清流富田川・日置川が流れています。

豊かな自然と保護された文化財があり、
天然記念物のカモシカの生息地でもあります。

渓谷やキャンプ場など、アウトドアを楽しむには
絶好の場所が多く、山の幸と川の幸が味わえます。
温泉「乙女の湯」やカモシカ牧場も見所です。

奈良県は吉野や熊野・伊勢地方にとって縁深い
大塔宮護良親王に携わる説話もあります。

また、熊野古道の鮎川王子があります。
(国道311号線のバス停付近に碑だけが残っています。)

明治7年、鮎川王子は対岸の住吉神社に合祀され、
社殿もそのとき一部改築し移されたからです。
碑の後ろの山は王子山、権現山と呼ばれ、
国道から少し登ったところに権現神社が祀られています。


~乙女の湯と春日神社~

半作嶺という山の稜線が、女性が横たわっているかの様に見えるので、
「乙女の寝顔」と呼ばれ、これにちなんで「乙女の湯」と名付けられました。

泉質はアルカリ性単純温泉で、神経痛や筋肉痛・疲労回復や冷え性に適応します。
また、この乙女の湯の隣には「春日神社」があります。

毎年11/3に、春日神社の例祭にて奉納される獅子舞があります。
これは「上野の獅子舞」と言って、県の無形文化財に指定されています。
室町時代、八郎又衛門という人物によって伝えられたと言われています。

五穀豊穣と村民の安全を祈願して舞われるこの芸能は、
上野の獅子舞保存会によって 継承されています。

春日神社




~百間山渓谷・キャンプ村とカモシカ牧場~

百間山渓谷とは、全長約三kmの巨岩や大小18の滝や淵が続く渓谷です。入り口には「カモシカ牧場」があり、
カモシカの保護と生態研究の為に特別に許可を得て、のびのびと自然飼育されています。

春は新緑、秋は紅葉、夏は涼と、年間アウトドアと自然の美しさを楽しめます。
ハイキングコースがあるので、山の景色と渓谷が楽しめます。
イベントをやっている時には、ガイドさんが里山や草花の説明をしてくれながらのハイキングツアーもあります。

隣接されているキャンプ村は、広場・アスレチック・バンガローなどの設備があるアウトドアゾーンです。
おいしい空気と、都会では見る事の出来ない星空が楽しめます。

百間山渓谷キャンプ村・カモシカ




~和歌山の大塔の伝説~


―「大塔宮護良親王」―

時は南北朝時代、後醍醐天皇の皇子として、幼くして比叡山に入り、
大塔に住んだので大塔宮と親しまれていました。(ここで言う大塔とは、今の奈良県の大塔の事です。)
後醍醐天皇が鎌倉幕府の倒幕を企て、隠岐に流刑となった後、
大塔宮は楠木正成の赤坂城へと逃げますが、落城してしまいます。 大塔宮は熊野へと更に逃げました。
熊野へと向かう途中、大塔宮は夢で「熊野ではなく、吉野に向かいなさい」という天のお告げを受けます。

思案の末、海岸沿いから奥深い山道へと、吉野を目指しました。
大塔宮は吉野への旅の途中で立ち寄った地の豪族であった戸野氏と力を合わせ、王政復古を夢見て立ち上がります。

「護良」と名前を改め、吉野や熊野の軍と共に鎌倉幕府倒幕を目指します。
遂に鎌倉幕府は倒幕され、建武の新政により世を鎮めますが、武家政治を望む声に後押しされ、
足利尊氏が台頭してくると、 その力を恐れた後醍醐天皇は大塔宮護良親王を取り押さえてしまいます。

親王はやがて足利氏によって幽閉されてしまいました。

―「大塔宮護良親王と大塔・鮎川」―

大塔宮護良親王が吉野に落ちる時に通りかかったのが、和歌山県の鮎川(大塔村)です。

険しい山道を落ち延びる長旅につき、親王とそのお供は食べ物が尽き、空腹でした。
この時村では亥の子祭りで、農家の軒先には粟餅が吊るされていました。

親王は「せめてこの餅をくれまいか」とお願いしましたが、
農家では既に「落ち人に食べ物を与えるな」という禁令が伝達していたので、
食べ物を与えてそれが発覚した場合の怖さの余り、食べ物をあげませんでした。

結局空腹のまま落ち延びた親王一行ですが、その後村人たちは先の落ち人が大塔宮護良親王だと知り、
大いに恐れかしこまり、以来六百年間、全村民が正月にも誰も餅をつかず、
ひたすら親王に対して謹慎をしていました。

しかし鎌倉の官弊中社鎌倉の宮で大塔宮護良親王の六百年祭が挙行された事を受け、
永く続いていた風習を破り、神前に餅を捧げ、六百年の過去のお許しを乞い、
それを機に餅つき行事を復活させたそうです。

大塔村